県工の思い出と、東京から卒業生へ一言

 私は、昭和 47 年に県工の電子科を卒業して、「東京地下鉄株式会社」(旧・帝都高速度交通営団)に勤務し、この 3 月に定年を迎えました。長年に亘って、地下鉄の分野で東京交通網の発展を支え続けて、今ようやく肩の荷が降りた思いです。
 そこで、県工の思い出と、卒業生への一言をメモにしました。

 私は県工で、電子科 45 名の仲間と 3 年間勉強し、遊び、クラブ活動に汗を流しました。
県工時代に想いを馳せると、「計算尺何級」、「電気工事士」、「レーダー何級」、「テスターの制作」とか、10 ㎞マラソンを走ったことなどを懐かしく思い出されます。

 先日、県工に行くチャンスがあり 42 年ぶりに母校を訪れました。私の県工時代の面影はどこにも無く、長い年月の間に校舎が更新変貌したことに驚きました。校内の通路には上手に描かれたデッサンや、油絵などが掲載され、教室内にはコンテストに出るための車のコースや、何台も並んだ PC、A0 版が印刷できるプリンターなど、42 年前には考えられない機器が沢山並んでいて羨ましい限りでした。更に、学校の入り口には各種大会で活躍している若人の立て看板が誇らしげに飾られており後輩が頑張っている様子が一目で理解できました。過ぎた歳月の長さを改めて実感させられました。

 県工で 3 年間学んだことが、社会人になって東京の地下鉄部門の発展に貢献し、報酬を手にすることの喜びとなり、また、仕事の大変さ、人付き合いの難しさも乗り越える原動力になったと確信しています。職場で解らない機器を目の前にしても必ず理解するんだ、使いこなしてやるという気概を持ち先輩に聞き、自分で書物を手に入れて勉強した努力は県工で培われたものであり、今日まで私を支えてきたものです。

 最後に卒業生の諸君へ一言、昨今は就職が難しい時代ですが、県工の卒業生は就職率が高いと聞いております。社会に出て自分の生活を守りながら、工業界・産業界の発展を支える担い手として将来を展望し、希望と目標をもって生きて行くことが大切です。いろいろ悩むことはあるでしょうが、先輩たちが見守っています、前向き思考で頑張ってください。
 私の子供にもそう言って背中を押しています。

現役当時、勤務先にて 牛坂正博


寄稿者:牛坂正博(S46電子)