2024 浜離宮散策レポート

県工東京倶楽部が秋の親睦会として実施している恒例イベントを11月16日(日)、東京都中央区の「浜離宮恩賜庭園(はまりきゅうおんしていえん)」にて開催しました。この日は曇り空でしたが暖かく散策にはちょうど良い日和で、7名が参加しました。参加をメール会員へ呼びかけましたが少人数での親睦会となりました。JR 浜松町駅前に集合し、徒歩で浜離宮へ向かい大手門から庭園へ入りました。庭園の散策では庭園ボランティアガイドの案内で1時間40分ほど庭園の歴史背景や自然環境条件などの説明を受けながら、国の特別名勝に指定された東京の大名庭園の一つ、美しく整備された庭園を散策しました。この浜離宮恩賜庭園は江戸城の出城であり、海防の役割も担っていたので浜離宮の大手門入口には、その石垣が残っていました。

六代将軍家宣(いえのぶ)の時代に植えられた黒松「三百年の松」が太い枝を堂々と低く張り出していた。お花畑には白いコスモスが咲いていた。また、冬に咲くコブクザクラ(子福桜)を観ることができた。東京湾の海水を池に引き入れた池「潮入りの池」は庭園の主役的な景観の一つになっていた。池の小島を結ぶ白い総檜造りの橋「お伝え橋」などを散策しました。庭園散策の後は、園内の「野外卓広場」で昼食としました。食事の弁当は当日東京駅構内の駅弁屋で手に入れた有名駅弁を堪能した。昼食の後には「おらがふるさとの思い出話し」でメンバーの親睦を楽しみました。参加者は山崎さん、緑川さん、村上さん、長谷川さん、阿久津さん、高野さん、幹事の阿部の計7名でした。

■懇親会と故郷(福島)
庭園内での昼食後の交流会では、皆さんに、故郷の思い出を、語ってもらいました。
ほんの少しだけ中味を紹介します。
⓵ 幼少時の瀬上小學校校庭での時代劇上映、叔父達のお囃子による盆踊りが懐かしい。
② 鎌田の石ケ森神社や隣町に備中足守藩があったこと。
③ 長岡(伊達市)の昭和30年代には映画館があった。路面電車が主力の時代、福島駅前-長岡分岐をメインに、長岡から湯野(飯坂)、保原、柳川、掛田まで延びていた。
④ 霊山の実家での、蚕さまや、農業、名物のアンポ柿のこと。
⑤ 渡利の花見山近くの自宅では、「花き」栽培を営んでいた。 現在は桜の花見客も多く、交通規制もある。
⑥ 県工クラスメンバーと猪苗代湖でキャンプを楽しんだことが一番の思い出。
⑦ 小中校時は転校が多かった。滝根町地区から、小野町…(略)…最後は、国見町に落ち着いた。
出身はどこですか? の問いには困った。

■浜離宮の歴史と散策のポイント
浜離宮は外国人の方に、とても人気のあるスポットです。 ‥よろしければ、一読を。
浜離宮は都心のなかに 250ha の広大な緑地を保持し、国の特別名勝にも指定された、 東京・江戸を代表する大名庭園の一つです。

❚ 歴史
この地は、将軍の鷹狩の場であったアシの群生場所を江戸時代初期(1654 年)に埋め立て、甲府藩の江戸下屋敷としてはじまりました。 6代将軍徳川家宣(いえのぶ)の時、将軍家の別邸になります。その後、歴代将軍にて造改築が行われ、11 代将軍家斉(いえなり)の時、浜御殿の庭園として最盛期を迎えます。
明治時代には、皇室の離宮、「浜離宮」という名となり、外国貴賓用の「延遼館」も完成、歓迎会などに役立てられました。
昭和時代の戦後(1945年)、都に下賜(かし)され、翌年、都立の庭園として一般に開放されました。
関東大震災や戦禍により、大部分を失われましたが、昭和、平成時代に、茶室や橋などが復元され、ほぼ江戸時代の庭園の姿が出来上がりました。

❚ 庭園を将軍の娯楽の視点から次の 4 点を記す
(イ)庭園には池や植物がある
(ロ)茶室がある
(ハ)小高い山がある
(ニ)鷹狩ができる

(イ)”潮入りの池”
東京湾の海水を池に引き入れた池。海の干満の影響により水位が上下し池の景色が変わります。
また、歴代将軍の好みにより、梅林などの各種園芸植物が栽培されました。

(ロ)4 つのお茶屋
茶室から池を見ながら、楽しむ。六代将軍家宣は浜御殿で、天皇の勅使として江戸を訪れた公家たちを度々接待。茶屋で池を見ながら和歌を詠み、池に船を浮かべ音楽を聴き、庭園内の水田で田植えの様子を見せました。

⓵ 中島のお茶屋;眺めもよく、江戸時代には海のかなたに房総を望めることができ、夕涼みや月見にも使われたようです。現在は無料の休憩所となっていて、抹茶・和菓子セット(有料)を楽しめます。
⓶ 松の茶屋:上記と対をなす端正な概観のお茶屋、天井は屋久島・霧島の杉で格調高い。池の目の前に建っており、池の展望が良い。
⓷ 燕のお茶屋:南宋の絵を飾り、菓子などで客をもてなしました。
④ 鷹のお茶屋:将軍が鷹狩をする際の休憩所として使われました。野支度のまま立ち寄れる広い土間があり、また裏手には、鷹を休ませるための鷹部屋もあります。

ハ)園内に子山が5座ある。その内の3点
・「富士見山」:名前の通り、明治時代までは、西方遙かに富士の秀峯を望むことができました。
・「新樋の口山(しんひのくちやま)」: 東京湾に面した水門近くの山で、お台場や房総方面がみえます。
・「御亭山(おちんやま)」: 園内のほぼ中央にある小高い丘で、庭園の四方を見渡せて眺望抜群。

(ニ)鷹狩と鴨場:
・鷹狩とは、野山に出かけ、飼いならした鷹を使って狩りを楽しむこと。
江戸時代の鷹狩は鴨場を利用した遊びとなっていました。
園内に鴨池を設け、鷹狩を楽しめる鴨場があります。
・鴨場:覗き穴から、鴨の様子を伺い、飼いならしたおとりのアヒルが、生のカモを「引堀」に誘導し、引掘の鴨を、網や、鷹を放ち、捕まえました。

江戸期の浜御殿は、娯楽とは別の一面もあること付記しておきます。
浜御殿には、籾蔵(もみぐら)」と呼ばれた場所があります。ここには、飢饉に備えた蔵がありました。また、全国各地との物産の交換もあり、積み荷は築地川から内堀に運ばれて、ここに荷揚げされました。

終わり

寄稿者:阿部政芳(S42電子)